はじめに
「パパに会ってくるね〜!」
これは、幼少期の私が母に伝えていた言葉です。
私にとって、別居していた父と定期的に会うことは、
何の疑問も持たない“当たり前の日常”でした。
けれど最近、とある調査データを読んで、
その「当たり前」が、実は少数派だったことを知ります。
面会交流のない親子関係がこんなにも多いなんて——。
驚きとともに、複雑な気持ちがこみ上げてきました。
・子どもは本当に、親と会いたくないのだろうか
・会えない理由って、どこにあるのだろうか
・そして、私はなぜ“会い続けられた”のだろうか
この記事では、
📌 2024年に茨城大学より発表された『離婚と再婚の実態に関する調査結果 ―離婚のみ経験者と再婚経験者の比較を中心に―』という論文を参考に「面会交流の実態」を紐解きつつ、
📌 私自身の体験を交えて「数字の背景にあるリアル」について考えていきます。
きっとこの記事を読む中で、
「親と子のつながり」について、新しい視点が生まれるかもしれません。
※投稿主(まちるだ)がどういった生い立ちなのか気になる方はプロフィールをチェックしてみてください!
面会交流の“面会交流実施率”を見て驚いた──私の常識は少数派だった?
正直、ショックでした。
茨城大学人文社会科学部が2024年に発表した論文『離婚と再婚の実態に関する調査結果』によれば、
再婚家庭において、別居している親と定期的に交流している割合はたったの31.4%。
その他という回答を除けば、残りの57.5%は、
「まったく会っていない」もしくは「過去にあったが今はない」という状態です。
▼ 再婚群(実子がいる270名が対象)の面会交流状況(※元データをもとに筆者が再集計)
面会交流の頻度 | 割合 |
---|---|
毎週1回以上~年1回程度までの定期的交流 | 31.4% |
過去にあったが現在はない | 22.6% |
まったくない | 34.9% |
その他 | 11.1% |
想像以上に少ないことに驚きました。
というのも、私にとって別居していた父と会うことは、
“特別”でも“たまに”でもない、ごく日常的なことだったからです。
- 母が出掛けてしまい、夜中に一人留守番させられて怖くなって電話をかけたら車で駆けつけてくれる父
- 月に一度の面会では必ず美味しい御飯屋に連れて行ってくれて
- 会いに行った帰りは決まって2人でゲームセンターへ
——こんな思い出が、いまだに色濃く残っています。
だからこそ、「面会がない」「関係が途切れている」ケースがこれほど多いことに驚きましたし、
自分の経験が“珍しいもの”だったことに、ようやく気づかされた瞬間でもありました。
面会交流が少ないのはなぜ?──背景にある“再婚群の離婚理由”のリアル
「親だからって、子どもに会えるのが当たり前じゃない。」
それは、必ずしも冷たい拒絶ではなく、“ちゃんと理由がある”という現実でもあります。
たとえば、先の調査による「再婚群」の離婚理由(再婚前の離婚理由)を見ると、以下のような傾向がありました:
🔍 再婚群の離婚理由上位6項目
離婚理由 | 回答者割合(全体412名中) |
---|---|
性格の不一致・価値観の相違など | 33.7%(139名) |
不貞行為(浮気・不倫) | 15.0%(62名) |
金銭的問題(借金・浪費・収入格差など) | 8.0%(33名) |
暴言・暴力・モラハラ | 6.1%(25名) |
老後を共にしたくない等の方向性の違い | 3.2%(13名) |
夫が働かない・甲斐性がない等 | 2.9%(12名) |
出典:『離婚と再婚の実態に関する調査結果 ―離婚のみ経験者と再婚経験者の比較を中心に―』茨城大学(2024) 表11より再計算
この表から見えてくるのは、
“性格の不一致”や“価値観の違い”のような見えにくい要因が多くを占めていること。
それに加えて、モラハラ・暴言・不貞行為といった
「子どもを巻き込んでまで関わらせたくない」と思わせる理由も目立ちます。
たとえば…
- DV(家庭内暴力)やモラハラがあった場合
→ そもそも接触させること自体が危険 - 不貞行為で家庭が崩壊した場合
→ 「裏切った人に子どもを会わせたくない」という感情が湧くのも自然 - 金銭問題で苦しめられた場合
→ 子どもを支える力のなかった人に、今さら親としての役割を求めたくない
こうした背景がある限り、面会交流が実現しにくい現実があるのも無理はないのかもしれません。
余談
私の両親の離婚理由は母曰く、父の浮気らしい。。。
“らしい”というのは、母と父の主張が異なり真相が分かりません。
父の主張としては、価値観の違い。
昼間友達と携帯で電話ばっかりしていた(月の請求が7~8万円だったそう)。専業主婦ならばせめて家事を”この位はやってほしい”という父の考えと、”最低限の家事はこなしている”という母の考えが噛み合わず離婚に至った。とのこと。
まぁ私が成人してからお互いに何となく聞いてみたことなので、どちらが正しいとかはあまり気にしていません。
というより、どちらも正しいんだと思いますが。
どちらの話も聞いて、「そういう節あるな」と感じますし。
面会交流は“気持ち”で止まることがある──でも再婚だから減るわけではない?
「もう会わせたくない」「子どもには安心して育ってほしい」
それは、親として自然に生まれる感情です。
特に再婚して新しい家庭を築いた場合、
過去のパートナーを“今の家族の中に入れたくない”という思いが芽生えるのも、よく分かります。
しかし、ここでひとつ意外な事実が浮かび上がってきます。
「再婚したから面会交流が減る」というわけではない。先の調査論文の結果を見れば明らかになります。
🔍 離婚のみ経験群と再婚群──面会交流の実施率はほぼ同じ
調査によれば、実子と「定期的な面会交流(毎週1回以上~年1回程度)」があると答えた割合は:
- 離婚のみ経験群:32.8%
- 再婚群:31.4%
その差はわずか1.4ポイント。ほとんど変わらないと言っていいでしょう。
また、「過去には交流があったが今はない」「まったくない」という割合も、
- 離婚のみ経験群:61.0%
- 再婚群:57.5%
と、大きな開きは見られません。
つまり、再婚によって面会が大幅に減るとは言えないのが現実です。
むしろ、面会交流の“少なさ”そのものがスタンダード?
この数字を見ると、逆にこのように捉えることができます。
「再婚かどうかに関係なく、面会交流はもともと少ない傾向がある」
これこそが、今回の調査データから見えてくるもう一つの“リアル”なのだと思います。
“なぜ私は父親と繋がれているのか”という違和感
面会交流が少数派であるというデータを見たとき、
私が感じたのは「驚き」だけではありません。
それよりも強く残ったのは――
「じゃあ、なぜ自分は“会い続けられた”のだろう?」という不思議な感覚です。
継続していた父との関係に、“特別な何か”はあったのか?
実父とは離婚後も定期的に会っており、
それは特別なイベントではなく、“日常の延長線”にあるものでした。
- 夜中に電話をかければ来てくれた
- 毎月のように外食や遊びに連れていってくれた
- 思春期を過ぎても、自然と関係が続いていた
こうした体験が、私にとっての“当たり前”でした。
でも今、気づく。「それって、当たり前じゃなかった」
調査結果を通して初めて知ったのは、
そうした「関係の継続」こそが、実はとてもハードルの高いことだという現実です。
もちろん、父の姿勢や母の理解が大きな要因だったと思います。
でもそれだけでなく――
面会交流が続くためには、“見えない壁”をいくつも越えていく必要があるのかもしれません。
「続かない背景」にある“制度と環境”
ここまでを振り返ると、
「面会交流がない=感情的な拒絶」だけが原因ではないと気づかされます。
そこで次の見出しでは、面会交流が実現しにくい背景にある、
法律・制度・社会的な構造の壁について掘り下げていきます。
🧱 制度・環境の“壁”が、親子の再会を難しくしている?
父と会い続けられた自分と、交流が途絶えてしまった子どもたち。
その違いは、単に「気持ちの問題」だけでは片づけられないと、私は感じています。
制度的・環境的なハードルが、知らず知らずのうちに親子の交流を遠ざけているのかもしれません。
面会交流は“親の権利”ではない? 日本の現実
日本の法律では、子どもと別居している親の面会交流について「子どもの利益を最優先に考えること」が前提とされています。
ですが実際は──
- もう一方の親が拒否すれば実現が難しくなる
- 面会交流が調停などで決定しても、強制力がほぼない
- ルールが守られなくても罰則はない
という“限界のある制度”の中で運用されているのが実情です。
「子どもと会いたい」気持ちがあっても、それを実現するには多くの“手間”や“根気”が求められる。
その現実に、面会交流を諦める親も少なくありません。
再婚後の家庭にもある、“空気”というハードル
さらにもう一つ見逃せないのが、再婚後の家庭の中にある「空気の壁」です。
- 新しいパートナーが元配偶者との接触に抵抗を感じる
- 子どもが混乱するのではと遠慮してしまう
- あえて話題に出さず、“波風立てない”選択を取る
こうした気遣いや葛藤は、誰かが悪いわけではなく、“よかれと思って”選ばれている判断でもあります。
けれど、それが結果的に「面会交流の機会」を減らしてしまっているケースもあるのではないでしょうか。
このように、感情だけでなく制度・環境・空気感といった見えない壁が、
“会いたい気持ち”を“実際の行動”につなげにくくしている。
そのことを、もっと多くの人が知っておく必要があると私は思います。
🔍それでも“会える親子”に共通するものとは?
統計的に見れば、別居親との面会交流がある親子は少数派。
それでもなお、「今でも会えている」という親子が、確かに存在します。
私自身もそのひとりとして、「なぜ会えたのか?」をいくつか考えてみました。
① 片親だけでなく“両親の協力”がある
面会交流は、どちらか一方の努力だけでは成立しません。
実は離婚後私の母は、私と父を会わせるつもりがなかったと言っています。
理由は、この記事の余談でも話しましたが、父の浮気が原因で離婚したから。
「裏切った人に子どもを会わせたくない」という感情が湧くのも自然でしょう。
しかし父は根気強く交渉し、”息子(私)が大学を卒業するまで慰謝料は毎月払う”という条件のもと、母を納得させました。
…子どもとして何か複雑な気持ちですが。
父が原因とは言え、関係を断ちたくないと願ってくれたことは素直に嬉しい。離婚後は会わせるつもりがなかったという母の気持ちも分かる。ただ、それがお金で解決したのかと思うと。。。
まぁ過程はどうあれ、両者話し合いの末、面会交流は定期的に行うことが決まったわけです。
「離婚しても、親子関係は続くもの」
そんな共通認識が、両親の間にあったのだと…..思います。そう思うことにします。。。
② 別居親が“継続的に関わろうとした”痕跡がある
実父は、私に携帯番号を覚えさせてくれていました。
「何かあったら、いつでも連絡していいから」と。
離れていても“父としての存在感”を持ち続けてくれたことが、
子ども心に安心感をもたらしてくれたのは事実です。
③ 共感できる“外部の支え”がある
家庭内のことは、すべてを親に相談できるとは限りません。
私にとっては、母子家庭の友人の存在が心の支えになっていました。
「自分だけじゃない」と思えたことが、気持ちの安定につながったのです。
このように、環境・努力・偶然が重なって、面会交流は成り立っている。
だからこそ、会えていること自体が“奇跡的”なのかもしれない──
そんな思いさえ抱くようになりました。
面会交流が「ない」ことで子どもに起きうる影響とは?
「子どもは親がいなくても育つ」——
そのようなケースもあるかもしれません。でも、“いない理由がわからない”ことは、子どもの心に深く影を落とすことがあります。
ここでは、面会交流がない場合に子どもに起きうる心理的・社会的な影響について、3つの観点から考えてみます。
① 「自分は捨てられた」と感じてしまう
別居している親から連絡もない、会いにも来ない——
そうした状況が続くと、子どもは「自分が悪いのかな」と思ってしまうことがあります。
それがさらに進むと、
「自分には価値がない」「大切にされなかった存在なんだ」
といった、自己肯定感の低下につながることも。
② 家族に対する信頼感が育ちにくくなる
家庭は、子どもにとって最初に経験する「人との関係性の場」です。
そのなかで、突然の別れや説明のない関係断絶が起きると、
「人を信じても裏切られる」「どうせいなくなる」といった感覚を持ってしまう可能性があります。
これは将来的な人間関係の構築にも影響を及ぼすことがあります。
③ 「なぜ会えなかったのか」がずっと心に残る
これまた不思議な話で、類は友を呼ぶというのでしょうか。あまりご近所関係を持たない私なのですが、唯一交流のあるご近所さんがいます。私より年上の方で、幼いころに両親が離婚。母に引き取られ「子どもの頃、親に何も説明されずに会えなくなった」といいます。
直接的な言い方になってしまいますが、離婚後家庭は貧しくなり、父親を探し出して〇してやりたいと考えたことがあると語っていました。
もちろん現在その方は幸せな家庭を築いており、そんなことは段々と考えなくなったようですが、
ふとした時「父は今どこで何をしているのか。そもそも生きているのか。」と思うことがあるそうです。
大人になってからも、「本当はどうだったのか」を知りたくなる。
それだけ、“説明のない断絶”は、心に残り続けるのです。
もちろん、すべての家庭で面会交流が必要とは思いません。
でも、
「なぜ会えないのか」 「子どもにどう伝えるのか」
という親の姿勢こそが、子どもの安心につながる鍵になるのだと思います。
面会交流だけでなく、行政による子育て支援についても気になる方は、こちらの記事(自分を整えよう!| シングルマザー・シングルファザーの人生再設計術)もぜひ読んでみてください。
“会えない理由”と、“会えた記憶”のあいだで思うこと
親同士の事情はもちろんある。
再婚後の家庭とのバランスもある。
でも、
そのすべてを受け止めるのは、いつだって“子ども”です。
私自身、たまたま交流が続いた側の人間として、
統計データの中で「少数派」に分類されることを知り、
初めてそのありがたさを意識するようになりました。
🙏 面会交流の「有無」ではなく、「意味」を考えてほしい
このテーマに正解はありません。
ただ一つ言えるのは、
「つながりをどう残すか」は、大人がきちんと向き合って考えるべき問いだということ。
面会交流は、
会えたか/会えなかったかという「事実」だけでは語れません。
子どもにとっては、
「なぜ会えなかったのか」
「どうして会えたのか」
そこにある“意味”や“気持ち”こそが、ずっと残り続けるのだと思います。
別居しても、離婚しても、家族のかたちは作れる。
その選択肢の一つとして、
“面会交流”という手段がもっと開かれたものであってほしい。
そんな願いを込めて、この記事を締めくくります。
参考文献:
野口康彦・青木聡・直原康光(2024)『離婚と再婚の実態に関する調査結果 ―離婚のみ経験者と再婚経験者の比較を中心に―』茨城大学人文社会科学論集,第3号,133–148頁.
(https://rose-ibadai.repo.nii.ac.jp/records/2000781)